日本人が投資で損をする本当の理由 ──偏差値と道徳教育が生んだ「思考停止投資家」の構造

なぜ日本人は、どんなに金融リテラシー教育を受けても、いざという時に「投資で損をする側」に回るのか。
それは、投資手法や知識の問題ではなく、もっと根源的な部分――「教育」に原因がある。
日本の学校教育は、論理的に考える力を鍛えるものではなく、与えられた枠の中で正解を当てるための訓練に近い。そして道徳教育は「個の判断よりも協調」「自律よりも従順」を美徳とする構造で、人間としての“意思決定力”を弱めてきた。
こうして形成された日本人の多くは、「自分で考えずに決められない」「みんなと同じことをして安心したい」という性向を持つようになる。その結果、投資の世界においても「群れ」として行動し、損をする構造が再生産されているのだ。
ここでは、日本の教育がどのようにしてこの“投資敗者の構造”を作り出したのかを、五つの視点から掘り下げる。

  • 偏差値教育が奪った「仮説と検証」の力
  • 道徳教育が生む「自律不能な人間」
  • 「みんながしている」ことを正しいと信じる心理
  • 「権威依存型社会」としての構造的問題
  • 「考えない安心」がもたらす国家的損失

偏差値教育が奪った「仮説と検証」の力

日本電産・永守会長が「日本の偏差値教育は根本的に間違い」と断言する理由 | ニュース3面鏡 | ダイヤモンド・オンライン

偏差値教育は、受験という目的のために思考ではなく“正答率”を評価する仕組みだ。
与えられた問いに対し、最も早く、最も安全な答えを出すことが求められるため、「なぜそうなるのか」「他に可能性はないのか」という考察を省く癖がつく。
つまり、「正しいかどうか」より「先生に褒められるかどうか」で判断する習慣が形成されるのだ。
この思考回路は、社会に出てもそのまま持ち込まれ、投資判断にも影響する。「専門家が言うから正しい」「メディアが推しているから安心」といった受動的判断を下す人が増える。
結果として、仮説を立てて検証するという投資の本質的プロセスが欠落し、リスクの構造や前提条件を自ら確認することなく、流行や他人の声に乗ってしまう。
こうして「考えない投資」が生まれ、利益よりも損失を経験する人が大多数となる。

道徳教育が生む「自律不能な人間」

こんな人は自律的自由人になるのが難しい11の傾向|一人商い塾

日本の道徳教育は一見、美しく聞こえる。「他人を思いやれ」「和を乱すな」「ルールを守れ」。
だがそれは、道徳を“自分の中にある判断基準”ではなく、“社会に合わせるための服従規範”として教え込む形で実施されている。
子どもたちは、道徳の授業で「正しい行動」を暗記する一方で、「なぜそれが正しいのか」「状況が変わればどう変わるのか」を考える機会を奪われている。
この教育を経た人々は、社会に出てから「自分で決めること」に強い不安を感じるようになる。責任を取りたくない、失敗したくない、周囲の評価が怖い。
結果として、証券会社の営業マンや保険外交員、ファイナンシャルプランナーといった“権威”に判断を委ねる。彼らの提案を「自分の判断」と錯覚しながら、実際は思考を停止したままお金を預ける。
教育が生んだ「自律不能」の構造こそ、日本人が金融商品で繰り返し損失を被る根因である。

「みんながしている」ことを正しいと信じる心理

みんなと同じ”が安心な理由——同調行動の心理学|神風

日本では、少数派は「危険」、多数派は「安全」という意識が根強い。
その結果、投資の世界でも「みんなが買っているなら間違いない」と考える集団心理が働く。
たとえば、インデックス投資やNISAのような制度が広く普及したのも、「みんながやっている」という空気の後押しが大きい。
もちろん、制度そのものが悪いわけではない。しかし、その目的や構造を理解せずに「多数派だから正しい」と思考停止で選択することが問題なのだ。
本来、投資の世界では「大衆と逆を行く者」がリターンを得る。だが、日本の教育は「異端であること」を恐れるよう人々を育ててきた。
その結果、群衆が買いに走る時に同じ方向へ動き、売りが殺到すると慌てて手放す――いわゆる“バブルと暴落の永久ループ”を自ら作り出している。

「権威依存型社会」としての構造的問題

受け身型 IT部門」からの脱却。エンゲージメントが高い自律型組織のつくり方 - d's JOURNAL(dsj)- 理想の人事へ、ショートカット

日本の社会では、教師、上司、医者、官僚、そして金融機関など、「権威」に従うことが美徳とされる。
この“縦型構造”は教育にも深く根付いており、子どもは常に「正しい先生の答え」に従うことを学ぶ。
結果として、社会に出ても「自分の意見」より「上の意見」を優先する。投資判断でも、「銀行が勧めるから」「大手証券だから」「有名YouTuberが言っていたから」という理由で行動する人が大多数となる。
しかし権威の側に立つ者たちにとって、顧客の利益は常に第一ではない。
販売手数料、運用報酬、ノルマの達成など、彼ら自身の利益構造が優先される現実を見抜けないのは、権威への“信仰”を教育で刷り込まれたからだ。
論理的に「なぜその商品を売るのか」を問いただす姿勢が欠如している限り、投資の不均衡は永遠に是正されない。

「考えない安心」がもたらす国家的損失

他人任せにするか自分で解決するか|中村

結局のところ、日本人の投資行動を支配しているのは「考えない安心感」だ。
偏差値教育で“考えるより正解を選ぶ”ことを覚え、道徳教育で“従うことこそ正しい”と信じ込み、社会に出て“みんなと同じ”でいることで安心する。
だがこの「安心」は、資本主義社会では致命的な弱点となる。
思考を放棄した投資家が増えるほど、金融機関は“売りやすい商品”を提供し、国民の資産は構造的に目減りしていく。
本来、投資とは未来を予測し、リスクを取って資本を動かす「能動的な知的行為」であるはずだ。
それを「制度任せ」「専門家任せ」「流行任せ」にしてしまうのは、国家的な思考力の衰退を意味する。
このままでは、個人資産は増えず、国全体としての金融競争力も失われていく。
日本人が本当に投資で成功するためには、まず教育の再設計――「自分で考え、自分で決める訓練」こそが必要なのだ。

自分で考えないと他人にとって都合の良いものを売りつけられたりするってことですね。

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まとめ

  • 日本人が投資で損をするのは、偶然でも個人の怠慢でもない。
  • 「考えない方が安全」と信じ込まされる教育構造の中で育った結果である。
  • 偏差値教育が思考を奪い、道徳教育が判断を奪い、社会が同調を奨励する限り、投資における“勝者”は一部の思考する個人に限られるだろう。
  • 投資教育を語る前に、まず“教育そのもの”を問い直す――それが、日本が再び金融後進国から抜け出すための第一歩である。

著者プロフィール

K2編集部
K2編集部
投資家、現役証券マン、現役保険マンの立場で記事を書いています。
K2アドバイザーによって内容確認した上で、K2公認の情報としてアップしています。

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