“おまかせ文化”の終焉:完全予約制・一斉スタート・二回転制が生んだ“疑似上流”の正体

もはや「おまかせ」は“美食”ではなく“儀式”

かつて「おまかせ」は、職人の哲学と客の信頼が交わる、最も美しい食体験の形だった。
しかし2020年代後半、SNS時代の急速な可視化によって、“おまかせ”は思考停止したブランド装置へと堕落した。

完全予約制、一斉スタート、二回転制、キャンセル不可。これらの仕組みは効率化の名を借りた“統制”。そして、予約困難という幻想を作ることで「希少性」を演出し、中身より“体験の希少さ”に金を払わせる仕組みが出来上がった。

もはや「味」ではなく、「行けた」という事実に価値がある。「食べる喜び」よりも「選ばれた感覚」が目的になった。

たしかに「一斉スタート」「二回転制」という文字をよく見るようになりました。

さらには演出ばかりのお店も増えました。どのような背景があるのか見ていきましょう。

  • 完全予約制・一斉スタート・二回転制の経済構造
  • SNSと予約難易度が生む「疑似上流階級」
  • なぜ大衆はそこに群がるのか──「共感依存」と「安心の価格」
  • 裏側の実態──経営・人間・演出
  • 今、“本当に食を愛する人”がどこへ行っているのか

完全予約制・一斉スタート・二回転制の経済構造

これらの制度は一見、職人の効率を守る合理的仕組みに見える。だが実態は、“安定収益と話題性を両立させるための経営戦略”。

完全予約制:キャンセル損失をゼロ化し、資金繰りを安定させる。
一斉スタート:人件費削減とオペレーション効率化。
二回転制:高単価・低席数でも売上を倍化。

結果、味や創意工夫よりも、「回転率」「SNS拡散」「ブランド維持コスト」が優先される。

厨房は職人ではなく興行師のステージになり、料理人は「演者」、客は「観客」に変わった。
つまり、今の“おまかせ文化”はすでに「飲食」ではなく、演出された儀式ビジネスである。

SNSと予約難易度が生む「疑似上流階級」

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この構造を支えているのが、“フーディーズ”と呼ばれる人種。
だが、その中には明確な分断が起きている。
・【前期フーディーズ】
 本物を求め、味覚や文化的背景を語れる人々。
 → すでに離脱。「同じ店に同じ人間ばかり」状態に疲弊。
・【後期フーディーズ(=大衆)】
 「行った」「載せた」「羨ましがられた」が目的。
 → 店を“味わう”のではなく、“投稿素材”として消費。

彼らにとって“味”は関係ない。必要なのは「話題性」「予約困難性」「高価格」の三点セット。この三つが揃えば、“ステータスの擬似上流”が成立する。

「本当に美味しい店」は“味覚の少数派”を惹きつけるが、「おまかせ商法の店」は“大衆の承認欲求”を吸い上げる。

なぜ大衆はそこに群がるのか「共感依存」と「安心の価格」

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彼らが高額・予約困難店に行き続ける理由は単純だ。
「高いものを買えば間違いない」という思考放棄の安心感である。
・味の判断ができない → 価格と人気で代替
・選ぶ基準がない → SNSのフォロワー数で代替
・批評する自信がない → 「予約取れない店だから正しい」と信じる

この心理は、ファッションや美容でも同じ構造だが、食は「自分の感性が問われる」領域であるため、“感情型大衆”ほどブランドや他者の評価に依存する。

「自分が感じた美味しさ」を信じる力がない人は、「他人が行った場所」を信仰する。

そして彼らの消費は、「自分が特別ではない不安」を金で麻痺させる行為に過ぎない。

裏側の実態──経営・人間・演出

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こうした店の裏側は、ロマンとは真逆だ。

  • 経営者・オーナー:飲食ではなくマーケティング畑出身が多く、顧客体験より「話題維持率(buzz ratio)」を重視。
  • マネージャー・スタッフ:サービス精神より“指示待ち型”。笑顔ではなく「マニュアルで管理された態度」。
  • 料理人・シェフ:本物志向から離脱し、「型通りのコース制作」。創造ではなく「SNS映え」や「動画撮影」を想定して料理を構築。

さらに、客層の中核には次の3タイプがいる。

1️⃣ 疑似上流階級層:高価格帯で承認を得たいSNS依存層。
2️⃣ 職業的フーディー:自分の影響力を保つために店を巡回。
3️⃣ 実業家・成金層:人脈・接待・自己演出の道具として利用。

一方、真のグルマンや思想的美食家は撤退している。彼らは“味の一貫性”と“人間の誠実さ”を重視し、その2つが欠けた瞬間に「金のための演出」と見抜いて去る。

今、“本当に食を愛する人”がどこへ行っているのか

飲食店関係者が明かす消費者が知らない飲食店の驚愕の裏側。私が飲食店が嫌いになったワケを告白します。

離脱した食通たちは、いま静かに小規模・私的・非演出の店へ移行している。

  • 店主と対話ができる5〜8席の小店
  • SNS非掲載・紹介制
  • 「料理を出す人=人格」として成立している場所

彼らに共通するのは、“味”より“思想”を食べているということ。素材・哲学・日常の美意識が整っている。つまり、食体験の中に「人間の秩序」がある。

一方で、まだ「おまかせ文化」を追う大衆は、自分の不安を他人の投稿で塗りつぶしている。彼らは“食べているようで、食べられている”。

いま求められているのは、味覚の多様性ではなく、「価値判断を自分で下せる精神の回復」。

どのお店もSNS映えする演出ばかりのお店が増えましたね。

自分の舌で味わい、店主と話しながら、”食”というものを五感をフルに使って楽しむことが大事だと思います。

まとめ

  • 完全予約制・一斉スタート・高価格コース。これらは美食の象徴ではなく、“支配の構造”
  • 本来、食とは“自分の世界観を確認する行為”である。それを他人の目と価格に委ねた瞬間、 人は「舌」ではなく「承認欲求」で食べ始める。
  • 最終的に、その構造を見抜いた者だけが、 静かにそこを離れ、もう一度“本物の味”を探し始める
  • 「食」は文化の鏡であり、“思考停止の贅沢”は、社会の末期症状そのもの。

著者プロフィール

K2編集部
K2編集部
投資家、現役証券マン、現役保険マンの立場で記事を書いています。
K2アドバイザーによって内容確認した上で、K2公認の情報としてアップしています。

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