総論:保険は「不安の代償」ではなく「破産リスク回避装置」である
多くの人は「不安だから保険に入る」という。
しかし合理的な人は、保険を感情的な安心の購入ではなく、経済的リスクの転嫁契約とみなす。保険とは本来、起こる確率は低いが、起これば致命的な損失――つまり「破産リスク」を社会的に分散する仕組みであり、「小さな損失を安心のためにカバーする」ためのものではない。
この原則を徹底すれば、加入すべき保険はごく限られる。
それが、**死亡保障(定期保険)**であり、他の医療・がん・外貨建て・積立型といった保険は、期待値的にも費用対効果的にも「非合理」となる。
合理的な人は、保険を感情でなく数式と確率で判断する。そこに一切の曖昧さはない。
わかっていてもなんとなく不安で入っておきたくなります。
期待値の計算式もありますので参考にしてください。
- 死亡保障だけが「保険として合理的」な理由
- 医療保険・がん保険はなぜ非合理か
- 貯蓄型・外貨建て保険は「保険ではなく高コスト投資」
- 「自己保険(Self-Insurance)」という考え方
- 心理的バイアスを排除する
死亡保障だけが「保険として合理的」な理由

合理的な人が保険を選ぶ際、まず基準とするのは「損失の大きさ」と「発生確率」である。その両者のバランスを見たとき、最も保険として成立するのが死亡保障だ。
被保険者が亡くなれば、家族の生活費・教育費・住宅ローンなど、将来の収入源が一瞬で断たれる。これは個人レベルでは到底吸収できない巨大損失であり、この「低確率×高損失」という構造こそが、保険の本質に合致する。
だから合理的な人は、掛け捨ての定期保険を選び、「必要な期間だけ」「必要な金額だけ」加入する。
終身保険や養老保険のように「貯蓄や運用」を組み込むのは、リスクヘッジと資産運用を混同した非効率な設計だと判断する。
つまり死亡保障だけが、「確率的に合理」「金額的に意味がある」唯一の純粋保険なのである。
医療保険・がん保険はなぜ非合理か

一見もっともらしく見えるのが医療保険やがん保険だ。しかし合理的に考えると、これらは確率に対して高すぎる保険料を支払う、損失期待の高い契約である。
まず日本には、公的医療保険制度(高額療養費制度)がある。月あたりの自己負担上限はおおむね10万円前後で、それを超えた医療費は国が負担する。よって「病気になって破産する」という事態はほぼ起こらない。
それにもかかわらず、「入院1日5,000円」「がん診断一時金100万円」といった民間保険に加入すると、支払保険料の総額が実際の期待損失を大きく上回る。
さらに近年の医療は入院短縮化が進み、がん治療も通院・投薬中心へとシフトしている。つまり、保険金が支払われる場面自体が減っているのだ。
合理的な人はこう分析する。
「がんの発症確率は5%、治療費の自己負担は20万円前後。期待損失は1万円。それに年間5万円の保険料を払うのは、期待値でマイナスだ。」
この視点に立てば、医療・がん保険は「安心の宝くじ」であり、合理性という観点では加入する理由がない。
貯蓄型・外貨建て保険は「保険ではなく高コスト投資」

「保障と資産形成の両立」をうたう貯蓄型・外貨建て保険。しかし合理的な人にとって、それは複雑で手数料の高い投資商品にすぎない。
外貨建て保険は「積立利率2%」などと宣伝されるが、実際には為替スプレッド・管理費・販売手数料などのコストが差し引かれ、内部収益率(IRR)は1%を切るケースも多い。
しかも途中解約すれば元本割れし、運用の柔軟性もない。同じ外貨リスクを取るなら、低コストETFや債券で運用した方が、透明性・流動性・利回りのすべてで優れている。
合理的な人は、こう分類する。
保険:純粋なリスクヘッジ
投資:リスクを取ってリターンを得る行為
両者を混ぜるほど、どちらも中途半端になる。だからこそ彼らは言う。「貯蓄型保険は“安心を装った投資”。保険の仮面をかぶった手数料ビジネスだ。」
「自己保険(Self-Insurance)」という考え方

合理的な人は、小さなリスクを保険に頼らない。医療費、家電の故障、軽度のケガ――これらは自己資金で吸収できるリスクと捉え、その分を自己保険ファンドとして積み立てる。
たとえば、毎月1万円の医療保険料を10年間積み立てれば120万円。この金額は多くの医療リスクを十分カバーできる。しかも、支払ったお金がすべて自分の資産となり、運用次第では増える可能性すらある。
つまり、「小さい損失は自分で引き受け、大きな損失だけ保険に移転する」というのが、最も合理的なリスクマネジメント戦略である。これは単なる節約ではなく、統計的に最も期待値が高い行動だ。
心理的バイアスを排除する

ではなぜ、多くの人が非合理な保険に入るのか。その背景には、人間特有の心理的バイアスがある。
• 損失回避バイアス:「万一」が怖くて、割高でも安心を買ってしまう
• 可得性ヒューリスティック:身近な病気体験を過大評価する
• 社会的同調:「みんな入っているから自分も入る」
• マーケティング誘導:「家族を守る」という情緒的コピーで判断停止
合理的な人は、こうした感情の罠を自覚的に避ける。彼らは不安を数値化し、確率とコストの比較で意思決定する。
「起こる可能性が低く、起きても生活を壊さないなら、保険はいらない。」
この一行に、合理的な判断のすべてが集約されている。
小さなリスクは自分で請け負うとすればシンプルですね。
シンプルに考えると必要な保険は限られています。
まとめ
- 保険は「確率で考える人」と「感情で買う人」を分ける鏡
- 合理的な人ほど、保険会社にとっては「儲からない顧客」だ。彼らは“安心”という感情を冷静に数値化し、必要最小限の契約しか結ばない。
- 合理的な人は保険を「安心を買う道具」ではなく、**「破産を防ぐための確率的仕組み」**と捉える。
- 医療やがんのように「損をして安心を買う」領域は排除し、必要最低限の死亡保障だけを残す。
- 「保険は“もしも”に備えるものではない。“破滅”にだけ備えるものだ。」
- そして、その余剰資金を「投資」と「自己保険」に振り分け、合理的で持続的な人生設計を完成させる。
著者プロフィール

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投資家、現役証券マン、現役保険マンの立場で記事を書いています。
K2アドバイザーによって内容確認した上で、K2公認の情報としてアップしています。
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