日本社会には、長年にわたって強固に形成されてきた「学歴ヒエラルキー」が存在する。その頂点に位置づけられているのが、言うまでもなく東京大学である。東大というブランドは、単なる教育機関の評価を超え、日本社会全体の価値判断装置として機能してきた。
多くの人間が、小学生、場合によっては幼稚園の段階から「東大に入るため」という暗黙のゴールを刷り込まれ、高校卒業までのほぼ全ての時間を受験競争に費やす。そして18歳で一度勝敗が決まり、その後の人生は「東大を頂点とする序列社会」の中で展開される。
問題は、この構造が個々人の能力開発や国際競争力の向上とはほぼ無関係である点にある。にもかかわらず、制度・法律・企業文化・官僚機構がこの価値観を前提に設計されているため、そこから外れること自体が極めて困難になっている。本稿では、この日本特有の構造を、サンクコスト・制度依存・言語・起業の限界という観点から整理していく。
- 東大を頂点とする学歴ヒエラルキーの完成形
- 外国語も話せない「国内最適化エリート」の量産
- 東大合格という成功体験が生むサンクコスト地獄
- 制度・法律・官僚機構を無批判に肯定する思考様式
- 日本型起業の限界と「国内完結モデル」
東大を頂点とする学歴ヒエラルキーの完成形

日本において東大は「学力が高い大学」ではなく、「正解を体現する存在」として扱われてきた。官僚機構、大企業、司法、メディア、学術界の中枢に東大卒が多数配置され、その人事構造が再生産され続けている。
この結果、日本社会には「東大卒が考えた制度=正しい」「東大卒が解釈した法律=正解」という無意識の前提が生まれた。これは個人崇拝というより、制度レベルでの信仰に近い。
重要なのは、このヒエラルキーが「競争の結果」ではなく、「前提条件」になっている点である。議論のスタート地点ですでに勝敗が決まっており、異なる価値観や経験を持つ人間は、そもそもテーブルに座ることすら難しい。
外国語も話せない「国内最適化エリート」の量産

東大卒の多くが、外国語を実用レベルで使えないという事実は象徴的である。英語教育は長年行われているにもかかわらず、「読む・解く」能力に特化し、「交渉する・発信する」能力はほぼ育成されていない。
これは個人の怠慢ではなく、制度設計の帰結である。受験において外国語は「減点されないための科目」であり、世界と渡り合うためのツールではない。結果として、日本国内では無双できるが、国外では何の武器も持たない人材が量産される。
彼らは「国際人」を自認することはあっても、実際には日本語・日本ルール・日本文化の内部でのみ通用する存在であり、グローバル競争の場では完全に周縁化される。
東大合格という成功体験が生むサンクコスト地獄

東大に入るまでに投下された時間、労力、家族の期待、教育費。それらはすべて「取り戻せないコスト」である。しかし日本社会では、それをサンクコストとして切り捨てる発想が極めて弱い。
東大ブランドを捨てて全く別の分野に挑戦することは、合理的判断ではなく「裏切り」や「逸脱」として扱われがちである。その結果、多くの東大卒は、自分の適性や興味とは無関係に、官僚・大企業・研究職といった既定路線に吸収されていく。
ここで重要なのは、彼らが「挑戦しない」のではなく、「挑戦できない構造」に閉じ込められている点である。過去の成功体験が、未来の選択肢を奪っている。
制度・法律・官僚機構を無批判に肯定する思考様式

東大ヒエラルキーの中で育った人材は、日本の制度や法律を「所与の正解」として受け入れる傾向が強い。なぜなら、それらは自分たちの先輩が設計し、自分たちが運用するものであり、疑う対象ではないからだ。
結果として、日本の制度は国際比較や実効性の検証を欠いたまま温存される。税制、労働法、金融規制、移民政策など、世界標準から大きく乖離していても、「日本ではこれが普通」という論理で正当化される。
この思考様式は、制度の内側で生きる限り安定をもたらすが、制度そのものが揺らいだ瞬間、一気に脆弱性を露呈する。
日本型起業の限界と「国内完結モデル」

たとえ既存ルートから外れ、起業という選択をしたとしても、その多くは日本市場に閉じたビジネスに収束する。象徴的存在としてしばしば挙げられるのが、堀江貴文である。
彼は確かに体制外の存在として語られるが、実際には日本で起業し、日本で上場し、日本語で日本人向けサービスを提供し、日本円を稼いできた。これは批判ではなく、日本型起業の構造的限界を示している。
真にグローバルな挑戦、すなわち法域・言語・通貨・文化を跨ぐ事業構築は、日本社会では依然として極めて例外的であり、制度的支援も乏しい。
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まとめ
東大信仰を中核とする日本社会のヒエラルキーは、個人の能力を最大化するための装置ではなく、秩序を維持するための安定装置として機能してきた。その結果、国内では効率的だが、外に出た瞬間に無力化する人材構造が固定化されている。
最大の問題は、この構造が「合理的選択」の積み重ねによって維持されている点にある。誰もが自分なりに最適だと思う選択をした結果、全体としては硬直した社会が出来上がってしまった。
このサンクコスト構造を認識し、意識的に切り離すことができるかどうか。それが、個人としても、日本社会としても、次のステージに進めるかどうかの分岐点になっている。
著者プロフィール

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投資家、現役証券マン、現役保険マンの立場で記事を書いています。
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