検察だけではない──金融庁・証券取引所・官僚組織に共通する「規制権力の闇」

プレサンス冤罪事件は、「検察の暴走」「刑事司法の闇」として語られることが多い。
しかし、本質はもっと広い。
あの事件で露呈したのは、日本の権力構造に共通する“規制側の思考様式”そのものである。

検察、金融庁、証券取引所、各省庁。
分野は違えど、彼らは同じ行動原理を持っている。
• 法制度は意図的に曖昧に設計する
• 運用・解釈は内部ルールで自在に変える
• 問題が起きれば「規制される側」に責任を転嫁する
• メディアと連動し、社会的制裁を先行させる

この構造の中では、
合法か違法かは事後的に決まる。
そして一度「悪者」とラベリングされれば、反論の余地はほとんど残されない。

これは刑事司法に限らない。
金融行政、証券規制、企業統治、すべてに共通する制度的病理である。

  • 曖昧に設計される法制度という「武器」
  • 規制解釈は常に「規制側の都合」で変わる
  • 規制 × メディア癒着という「社会的抹殺装置」
  • 「規制される側が悪い」という物語の完成
  • 投資家・事業オーナーが直面する現実

曖昧に設計される法制度という「武器」

平和と公正」の土台となる法制度。世界の実状と取り組みとは? | SDGs fan

日本の法制度、とりわけ金融・証券・企業関連法規には、共通した特徴がある。
それは、条文が異様に抽象的であることだ。
• 「適切に」
• 「誠実に」
• 「健全な業務運営」
• 「投資家保護の観点から」

これらは一見もっともらしいが、
具体的に何をすれば違反なのかは書かれていない。

なぜか。
理由は明確で、後から解釈を変えられるようにするためである。

規制側は、
• 明確なルールを定めて自らの裁量を縛ること
を極端に嫌う。

結果として、
• 普段は黙認
• 問題が起きた瞬間に「本来許されていなかった」

という、事後規制型運用が常態化する。

これは検察の「事後的犯罪化」と、構造的にまったく同じだ。

規制解釈は常に「規制側の都合」で変わる

金融庁は“逃げた”のか?新NISAを前に漂う「利益相反」の気配 | 山崎元のマルチスコープ | ダイヤモンド・オンライン

金融分野では、
金融庁

東京証券取引所
が絶大な解釈権を握っている。

問題は、その解釈が
• 法律
• 政省令
• ガイドライン

ではなく、
「その時の空気」「上の意向」「世論の流れ」
によって変わる点にある。

昨日まで問題なかったスキームが、
• 政治的圧力
• メディア報道
• 不祥事の連鎖

によって、突然「問題視」される。

このとき規制側は、

「以前からグレーだった」
「本来は想定していなかった」

という言い回しで、自らの監督不全を消去する。

結果、
• 規制が甘かった責任 → 誰も取らない
• それを利用した側 → 全責任を負わされる

完全に非対称な関係が成立する。

規制 × メディア癒着という「社会的抹殺装置」

3,123 東京証券取引所 Stock Photos, High-Res Pictures, and Images - Getty Images |  証券取引所 日本, 株価, 金融

検察事件と同様、金融・証券分野でも
メディアは規制側のリークをほぼ無批判に垂れ流す。
• 「金融庁が問題視」
• 「証券取引所が厳重注意」
• 「投資家保護の観点から調査」

この時点で、
有罪・無罪、適法・違法はどうでもいい。

重要なのは、

「規制当局に睨まれた」
というレッテルを貼ることだ。

市場、金融機関、取引先は一斉に距離を取る。
資金調達は止まり、信用は蒸発する。

後に、
• 行政処分が軽微
• 実質的な違法性は認められない

という結論が出ても、
企業も個人も元には戻らない。

これは、刑事裁判における
「逮捕=社会的制裁完了」
と同じ構造である。

「規制される側が悪い」という物語の完成

怖い・恐ろしい」は英語で?ネイティブが使う表現7つ | 英語たいむ

この構造が恐ろしいのは、
社会全体が「規制される側が悪い」という前提で動く点だ。
• 「怪しいことをしていたから調べられた」
• 「問題がなければ規制されないはず」

この発想が蔓延することで、
規制側の責任は完全に不可視化される。

本来問われるべきは、
• なぜその制度設計だったのか
• なぜ黙認していたのか
• なぜ今になって解釈を変えたのか

だが、それを問う声はほとんど上がらない。

結果、
規制権力は自己増殖する。
失敗しても、被害を出しても、責任は常に外部に転嫁される。

投資家・事業オーナーが直面する現実

欧州起業家が直面する「Exitの選択肢がない」という現実|藤後 友弘@海外起業会計士

この構造を理解せずに、日本で事業や投資を行うことは極めて危険だ。

重要なのは、
• 法律を守っているか
ではない。

本当の判断基準は、
• 後から「問題視」される可能性があるか
• 規制側にとって都合の悪い存在になっていないか

という、法治国家とは思えない基準である。

だからこそ、
• 過度に透明化しない
• 規制依存度を下げる
• 日本一国にリスクを集中させない

といった、制度リスク回避型の戦略が不可欠になる。

これは逃げではない。
合理的な自己防衛である。

良くも悪くも法制度を柔軟にしているところが、都合よく使われてしまうことがあるということですね。

金融業界も変な規制のせいで本当に良い投資情報にたどり着けないということがあります。

まとめ

プレサンス事件で露呈したのは「検察の闇」ではない。
それは、日本の規制権力全体に共通する構造の一断面にすぎない。
• 曖昧な法制度
• 恣意的な解釈変更
• 規制側無謬性
• メディアとの共犯関係
• 社会的抹殺を前提とした運用

この構造の中では、
正しいかどうかは問題ではない。
生き残れるかどうかだけが問題になる。

投資家・事業オーナーにとって重要なのは、
「この国のルールは、書いてある通りには運用されない」
という前提を持つことだ。

それを理解した上で、
• 距離を取る
• 分散する
• 深く関わりすぎない

この冷静さこそが、日本という市場で長く生き残るための条件である。

著者プロフィール

K2編集部
K2編集部
投資家、現役証券マン、現役保険マンの立場で記事を書いています。
K2アドバイザーによって内容確認した上で、K2公認の情報としてアップしています。

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